中ぱっぱ

はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くまで蓋とるな

「皆殺しの天使」(映画に映る像 Vol.1)

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映画を絹で濾すと水が音を立てて逃げ出します。残ったのはポロポロとした映像。

これは、その光に目を凝らせば、という話。

 

スマートフォンの普及に驚く覚えもない世代にとって、映画を観るという行為の場が映画館だけ、という訳がなく、テレビで観るのも煩わしく、スマホで観るなら短い動画を、となり、離れていきます。

無論、制作者側も変化に合わせ、引きの絵を撮らないようになったり、ならなかったり。果たして、デヴィッドバーン氏のTEDトークに参照される建築が音楽を進化させた話の如く、上映形態の変化が映画を進化させるのか、という議論もあったりします。それを余所目に映画は映画館で、という世界観で1つ。

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「皆殺しの天使」を映画館で観れるというので先日ウキウキと出掛けました。

映画館で観たからこそ本領発揮された、という印象がある1つの画によってもたらされます。

それは引きの絵で奥の部屋が明るく灯った様子を捉えたもの。

四角い部屋のど真ん中にカメラを置き、一切の歪みなく奥の壁を真正面から捉えた映像に見惚れた時、自分が映画館にいることに気づかされました。

真っ暗の四角い箱である劇場の壁に投射された光、そのスクリーンの先にさらに四角い部屋があり一番奥だけが明るい状態を作り出されます。

その時、劇場と映画の境界線としてのスクリーンは溶け出し、私たちも映画館にいることを強く認識しながら映像の中に入り込みます。

ある一室に閉篭もる物語を強烈に疑似体験させるエグい映像だった、と大満足に映画館を後にしました。