中ぱっぱ

はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くまで蓋とるな

花粉症デビュー

  去年の4月、引っ越した新居で掃除をしていると目がムズムズした。「あ、これは」春になるといつもマスクをしながら涙目でこっちを見つめている人がいるので、何か、と聞くと、花粉症だよ、と返された。「あれだ」マスクをしている人に、花粉症大変だね、と聞くと、風邪だよ、と返され、その後ろの窓越しで雨が降っていることもあった。他人事だったので、誰が花粉症で誰が花粉症ではないのか覚えなかった。琵琶湖に4月末なんかに行くと、湖畔に並ぶスギの花粉によって淡く黄色い風が吹いていたりした。綺麗だなあ、と見ていたのが懐かしい。とうとう自分も花粉症になった、と困った。けれども不快感は続かず、余りに目のあたりがぽーっとするので、出掛けるのをやめた日が一日あったかどうか。

 去年は前触れに過ぎなくて今年は花粉症デビューの年になると決めていた。2月にはマスクを大量購入して備えた。昨日から本当にしんどい。

 covid19が流行り、マスクに他の用途ができた。本当に効果があるのか判らないなあ、なんて思いながらも、流石に、と日常的にマスクをするようになったのが3月のはじめ。箱いっぱいに詰まっていたマスクも半分はなくなった。

 目が痛くなったのが先週。昨日、朝起きると頭痛と鼻水が酷くなる。コロナ!と10分ほど考え込んで怖くなるが、これが花粉症か!と気づく。花粉症シーズンは2、3月だと思っていたが、4月から酷くなる花粉症もあるらしい。それか。

 家にずっといるので今週は大掃除をしていた。畳の水拭きをしたり、カーペットを干したり。ソファを外に出してバンバン叩いてホコリを叩いたり。何故かマスクを忘れて作業を続けていたので、ホコリを被っていた。それも祟ったのだろうか。

 アレルギーの原因となるものをアレルゲンと言うらしい。ヒトにはアレルゲンを貯めるコップがあると考えると、それが一杯になった時から、アレルゲンに反応して頭痛や鼻水とか症状が出てしまう。それをアレルギーと言うらしい。花粉じゃなくてダニホコリだってアレルゲンになり得るので、日々掃除をしてコップを一杯にしないように過ごしましょう、と聞いたことがあった。大掃除で浴びたホコリがコップを一杯にして花粉症が酷くなった、なんて話もあったりするのだろうか。ただ、部屋を綺麗にしたかっただけなのに。

 マスクをすれば良かった。適当な買い物に行く時以上に、掃除するときにこそマスクをするんだ、なんてことはよくよく考えずとも当然だったのだ。馬鹿になってしまっていた。凹んでいる。とにかく花粉症しんどいなあ。

「皆殺しの天使」(映画に映る像 Vol.1)

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映画を絹で濾すと水が音を立てて逃げ出します。残ったのはポロポロとした映像。

これは、その光に目を凝らせば、という話。

 

スマートフォンの普及に驚く覚えもない世代にとって、映画を観るという行為の場が映画館だけ、という訳がなく、テレビで観るのも煩わしく、スマホで観るなら短い動画を、となり、離れていきます。

無論、制作者側も変化に合わせ、引きの絵を撮らないようになったり、ならなかったり。果たして、デヴィッドバーン氏のTEDトークに参照される建築が音楽を進化させた話の如く、上映形態の変化が映画を進化させるのか、という議論もあったりします。それを余所目に映画は映画館で、という世界観で1つ。

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「皆殺しの天使」を映画館で観れるというので先日ウキウキと出掛けました。

映画館で観たからこそ本領発揮された、という印象がある1つの画によってもたらされます。

それは引きの絵で奥の部屋が明るく灯った様子を捉えたもの。

四角い部屋のど真ん中にカメラを置き、一切の歪みなく奥の壁を真正面から捉えた映像に見惚れた時、自分が映画館にいることに気づかされました。

真っ暗の四角い箱である劇場の壁に投射された光、そのスクリーンの先にさらに四角い部屋があり一番奥だけが明るい状態を作り出されます。

その時、劇場と映画の境界線としてのスクリーンは溶け出し、私たちも映画館にいることを強く認識しながら映像の中に入り込みます。

ある一室に閉篭もる物語を強烈に疑似体験させるエグい映像だった、と大満足に映画館を後にしました。

 

「夜に生きる」 (映画に鳴る音 Vol.1)

 

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映画を包丁ですぱんと二枚におろすと、音と映像の切り身になる。

これは音に耳を澄ませば、という話。

 

 

ベン・アフレックの喋りごえは丸くツバが絡んだ高い声で、田舎のやんちゃ感が拭えません。「グッドウィルハンティング」と出世作はじめ、そのイメージを受け止め前進してきました。

スキャンダルで嫌われ者になってあっちこっち回り回ってアカデミー賞で登壇した枠は監督賞でした。そんな彼の監督最新作「夜に生きる」を今、観ています。

正確には映画を観て40分ほど経ったところで、ある緊急事態に気づき、一時停止ボタンに手を伸ばしスマホに向かっています。

この映画では音が鳴りません。

 

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映画の音は大雑把に分けて3つあります。セリフとSEと環境音。

映像編集を齧った程度の知識で語りますが、この3つは全く別物として映像に合わせて録音、整音、ミキシングと段階を踏みます。

この映画では音が鳴りません。

と言ったのも、3つ目の環境音が全くと言って良いほど本作には存在しません。

ベンアフレック演じる主人公とその親父と情婦が満杯になった飯屋で三角関係を呈する場面。ベンアフレックの顔を捉える画では背景に女性が映り、親父の背景にはスーツ姿の男性がいます。映像ではエキストラを使いキャラクターを端的に説明する演出がなされている一方、エキストラの食事会話の音が全くと言って良いほどしないのです。

 

他にも街からドアを開け部屋に入った途端、街の音は無化します。ベンアフレックの喋り声のガキ感含め、音が苦痛で止めてしまったのは初体験でした。

 

中ぱっぱ

初めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くまで蓋とるな。

 

お米の炊き方を纏めたこの文章の響きが好きなので、炊飯器しか使わないのに覚えておきたい。

とにかく記憶力が弱いので、覚えておきたいことを記録していきたい。